記者の目:日系人労働者受け入れ=高橋龍介(毎日)

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◇明確なルール確立を

「寄生虫外国人」「犯罪者の多い人種(の入国)を制限するのは国として当然」――。浜松市で新婚生活を送るため、今年5月、在留資格を求めて国を提訴した日系ブラジル人女性、フテンマ・ジュリアネさんを支援する市民団体のサイトに書き込まれた言葉である。日系人を短期的な労働力として受け入れる「デカセギ」の解禁から20年余りたった。その間、親とともに来日した子どもたちは成人し、日系人労働者は単なる「デカセギ」から、実質的な「移民」に変化している。ジュリアネさんに浴びせられた偏見や差別を排除するためにも、日系人労働者を定住者として扱うための明確なルールづくりと、彼らを受け入れる教育や育児支援が、日本社会の緊急の課題になっていると感じる。

 

 ジュリアネさんは、リーマン・ショックで失業した日系人の帰国を促す厚生労働省の支援事業で2009年、両親に連れられブラジルに帰国した。そこで結婚した日系人の夫(22)が再来日して職を得たため、自分も再入国しようとしたが「支援金を使った帰国者の再入国は当面認めない」という入管当局の方針で在留資格申請は却下された。だがジュリアネさんが提訴した途端、「定住者の妻という新たな身分を考慮した」と入管は一転して申請を認めた。

 

◇「再入国禁止」当初から批判

 再入国を認めない期間が「当分の間」と、国の方針があやふやだった支援事業の「再入国禁止」には当初から批判があった。元東京入国管理局長の坂中英徳・移民政策研究所長は「バブル崩壊後もスズキなどがある東海地方を支えたのは低賃金の日系人。国の支援事業で帰ったか、自費で帰ったかにより(その後の待遇に)不平等が生じている」と、入管の制度運用方針そのものを批判する。


 日系人の単純労働への就労は1990年の改正入管法施行で可能となり、彼らは工場労働者として出稼ぎに来た。人手不足に窮した製造業界がそれを望んだからである。そして、リーマン・ショックを機に、日系人は雇用の調整弁に使われ、職を失った。


 国が帰国支援事業を進めたこともあって、浜松の日系ブラジル人は今年4月に1万人を切った。ピーク時(08年9月)の半分ほどである。それでも、この国で生きることを望む第2世代がいる。ジュリアネさんも、青春時代をともに浜松で過ごした夫と結ばれた。両親と違い彼女たちの「故郷」は日本だ。


 7月に再入国した彼女は「帰ってきたという気持ち。この日本で自分の子供も産み育てたい」と話した。8月から3カ月の有期雇用で市内の自動車部品工場で働いている。帰国支援事業利用者の再入国について「『税金を使って帰ったくせに』というが、私たちも納税者だ。再入国を希望する人たちのためにできることをしたい」と話す。


 ジュリアネさんの代理人弁護士によると、同様に日本で職を失い、帰国を余儀なくされながら、再入国を希望する日系人労働者の第2世代は増えつつある。親とは違い、彼らは学齢期の多くを日本で過ごした。ブラジルに帰国しても、社会になじみにくい。

 

◇ 第2世代も貧困など苦労

 一方、第2世代は日本でのいじめや貧困が原因で十分な教育を受けられず、社会からドロップアウトするケースも少なくない。それが、彼らを排除しようとする一部の意見につながっていると思える。


 日本の子供が同じ苦境に陥ったら地域住民や自治体は、彼らに何らかの支援の手を差し伸べたのではないか。そうした支援が十分に行き渡らなかった結果、彼らを排斥する雰囲気が醸成されたのではなかったか。第2世代を支援する浜松学院大の津村公博教授は「外国人労働者を受け入れた以上、家族の教育などの枠組みを国は整えるべきだった。その基本方針がないまま20年が過ぎた」と問題の根源を指摘する。


 入管は今後も「個別の事情を判断して、(日系人労働者の)入国の可否を決める」という立場だ。だが、今や、国が日系人労働者らを受け入れる明確な基準を設ける時期に来ている。


 自治体は子を抱えた母親が地域で孤立する事態を解消するため、育児支援などを包括的に実施する福祉施策の実行が必要だろう。さらに、日本語を軸にした第2世代の学び直しや、生まれて来る第3世代のための教育の仕組みを整備してほしい。

 

 「デカセギ」の子は「デカセギ」になるしかないという日系人労働者たちの「負の連鎖」を早急に、断ち切るべきだ。

 

[毎日新聞社 2013年9月11日(水)]
 

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